住職のお葬式

おじいちゃんが死んでしまった

お葬式が
素晴らしい儀式で感激した



89歳
おじいちゃんは
お寺の住職であった

戦争から帰り
東海大地震に合い
寺は全壊。

しかし、たくさんの応援者と
本人のたくさんの苦労で
寺を再建し、
地蔵堂
鐘楼を建てた。



いつも行われる葬式というのは
省略をしているらしく

いろんな所からお寺さんが、お寺に来て
儀式を始めた。
無量であった。


お寺さんは何人いたでしょう
たくさんいらして
お経を唱えていた


焼き場に行く前に
行った後も行っていた
三回くらい
なになにの儀と言って
いつものお経とは違うものであった
南無阿弥陀仏で終わるのは変わらなかった


小さい頃本堂で ごろんしたりいろんな思い出がある
その今では小さく感じる本堂も
なにか違う本堂に思えた


立って行う 御焼香もあった。


たくさんの方が来てくださり、お茶出し お抹茶や茶菓子を出したりで
連日気も参っていた けれど死というものは終わりではないと何故か感じた。



たくさんのお寺さん達に
送られ

おじいちゃんも幸せだったであろう






焼き後に おじいちゃんの頭蓋骨は 珍しくきれいに崩れず残っていた
最後まで立派であった。




死んでしまったら話すことも出来ない

たくさんのひとの記憶に残る
そんなおじいちゃんが羨ましくもあった。
唯一私にとって
おじいちゃんの地元の心の安らぐ場所で 今している活動も、優しく応援してくれた。
おじいちゃんしかわかりあえぬ気持ちも
あったのに 心にぽかんと穴が空いた様。
でも、親族に、悠華が一番可愛がられ、たくさん思い出がある 悠華の話をしていた など話を聞くと暖かい気持ちになって
立ち上がり 往生しないとなと
感じたのだ


生きてる内に出来ること
幸せを伝えること
幸せを分けること
誰かの心に残るそんな存在になれたら
今でも私は幸せだが
死んだ後も幸せになれるように
何か できたらいいな



私ですが、だいぶ元気になりました。
頑張んなきゃ!



出逢う死は
しなきゃいけない気持ちを教えてくれる