おじいちゃんの死

鹿児島から愛知に戻り
数日荷物整理や、旅疲れを癒そうかなと言う気持ちでいた

2月7日実家に送った荷物を受け取りに実家に戻るついでに
在所に行き、大好きなおじいちゃん達に会いたいと寄った。肺炎で肺が片方機能していないため呼吸器を付けて寝たきりで下半身は動かず、リュウマチで、食べ物も食べれず、すっかり骨皮になってしまったおじいちゃん……
友達が車を出してくれた為、あまり話せなかったが、寝たきりでご飯があまり食べれなかったおじいちゃんが食べれるようになったと少し元気そうに話をしてくれた。送ってくれた、鹿児島の、かすたどん美味しかったよ!と喜んでくれた!いろんなおみやげを鹿児島から買ってきて、ネタが尽きてきて、鹿児島らしくないけど美味しいよねなんて明るく話していた。食べれるなら、好物のかりんとうまんじゅうも味噌ごぼうも、ぬか漬けも何でも食べれるんだ良かった!今度買ってくるね!とか。鹿児島での活動話とかを話し、こんな辛いことあったらさ、きっと幸せが来るよねっ待ってるよねと笑いあえた。
おじいちゃん元気になってきて良かった安心したと言い
それが最後の生きてる記憶。



2月9日


八時頃でしょうか。


母から電話。



おじいちゃんが亡くなったよ



との知らせ。


愕然とする
会ったばかり…鹿児島から帰ってきて二日目。
元気だったじゃないか…
今度会うときは、あれ買ってきてなんて話していたじゃない。。。。。

すぐさま在所に行った

目がぼんやりと開いて、生きてるかのようなおじいちゃんが動かない

まだ手も体も暖かい…

え?ほんとなの
嫌だ なんで どうして?…………


二日前は確かに元気だった
一日前、急に寒い寒いと言い出したそうだ。老健に行った時 頭もだらんと力が出ず下を向てるおじいちゃんを見た母は、大丈夫かとホントに不安だったそうだ
母とおばあちゃんが二人で寒いならと軽くて暖かい布団を新しく買いに急いだそうだ


9日
おばあちゃんが、おじいちゃんの おい!と言う声が聞こえないなとご飯の支度をしているときに不振に思い、おじいちゃんの手や足をさすり、反応がなく体は暖かい
だけど……
おじいちゃんの頭を触った時、冷たくなっていた…………そして医者にきてもらい
死んでしまったと確認された。
昼間、医者に見てもらい、血圧も体温も問題なかったのに……

おばあちゃんが気づいたのは、おじいちゃんが逝ってしまってから一時間ほどだったと聞いた。
目も少し開いていたしよく気がついたと思った。


実感がなかった。


89歳………


長生きしたよ頑張ったよ。
毎日痛かったろう…


元気だったのに

私に会いたくて会いたくて
おじいちゃんが運命をねじ曲げて、
私を愛知に呼び寄せたのかな
虫の知らせ?

なんて周りが言った。
悠華が、おじいちゃんに一番可愛がってもらったからね
って。


あんな事が起こらないと悠華が愛知に戻らないからだよと(あんなこと→前の日記)


最後に会えて良かった。
大好きだよ おじいちゃん。
お世話になってばかりだった…
ありがとう。


今年のバレンタインデーはおじいちゃんの葬式。おじいちゃんが好きなホワイトチョコを贈ろうかな



ここ数日
嘔吐してしまったり
体がなんだか弱いけれど
バレンタインデーが終わったら
自分休めてあげて
今の自分を越えてやるぞと思えと考えるくらい頑張りたいです。


身近な人の死は、
大切な事を教えてくれる。
今しなければいけない
考えなければいけない
【気づき】が見えてくる。


尊敬できる芸術家と住職の二人のおじいちゃん
芸術家で自然を大切にし尊敬できるお父さん
親友… この四人の死が私に教えてくれた、たくさんの事を振り返りながら、
前向きに生き
誰かの喜びが自分の幸せになる事を生きる糧として進みたい。
これからも…………